天台宗の寛永寺の36御坊の一つ
鶯谷駅の南西方向の、路地の奥にひっそりとたたずむのが天台宗のお寺である津梁院です。
ちなみに、読み方は「しんりょういん」となります。
この津梁院は江戸時代初期の寛永13年(1636年)に津軽氏によって建立されたもので、厳有院の別当寺の役割を果たしていました。
ご本尊は阿弥陀如来の木造で、いわゆる寛永寺三十六坊の一角を占めます。長らくこの地、鶯谷で庶民に親しまれてきましたが、慶応4年に(1868年)に明治維新の戦火に巻きこまれ、完全に壊されてしまいました。
そのご明治3年(1870年)になってからふたたび建立した津軽氏の子孫によって再建されますが、1945年に空襲でまたもや焼失。
現在の津梁院は元の位置から少し離れた場所に建っており、だいぶ寺領は当時より縮小しています。
鶯谷から谷中へ向かうこの地域には神社や仏閣が数多くあり、津梁院は決して大きくはないためあまり目立たない存在ですが駅からの近さ、緑の多さ、閑静で落ち着ける雰囲気などからファンが多く、人気を集めつつあります。
最近の昭和レトロブームの影響もあり、谷根千を散歩して名所旧跡を訪ねて回る若い人たちのグループや、日本らしい味のある神社や仏閣をSNSに掲載したい外国人観光客などにとってはとても魅力ある場所なのです。
入り口には大きな石の門柱があり、一見しただけだと大きめの普通のお家に見えるため通りすぎないよう注意しておきましょう。
この津梁院の内部には近衛家など貴族たちの墓や、後述する町田久成の墓などがあるため有名人の墓地めぐりをしている方にとっては見過ごせないスポットでもあります。
駅近なのに緑でやすらげる癒やしスポット
もともと津梁院は近くにある寛永寺の子寺として栄え、天台宗の人気がとても広く勢いのあった最盛期には多くの信徒を抱えて広い領地を持っていました。
しかし時代が下るにつれて天台宗は他の宗派に少しずつ取って代わられるようになり、勢いに陰りが見えてきます。
そんな下降線の時期に大火や戦災などで何度も本殿を焼失して移築を繰り返したため、持っている土地があちこちに散らばり現在の小さな土地に本殿が建っているのです。
一説によると、経済的に苦しくなった寛永寺が津梁院にあった五重塔を売却し、今は別の神社にあるということで天台宗の栄枯盛衰を思わされます。
さて現在の津梁院はこぢんまりした土地ではあるものの、駅からすぐという立地を考えればとても境内に緑が多くとても安らげる雰囲気の神域になっています。
天台宗が密教系であるためか門前には白い異国風のプレートが埋め込まれており、他の宗派には無い華やかな建築を随所に見ることができるでしょう。
少し入り組んだ路地の奥まったところにあることと、それほど知名度が高くないこと、また神社仏閣が周囲にたくさんあるためふだんの参拝客は決して多くはありません。
しかし耳をすませば山手線の音が聞こえるような駅近でありながら、まるで別世界のように森閑として落ち着いた空気はよそでは味わえないものです。
仕事の出張などで日暮里や鶯谷に宿をとっているビジネスマンや、谷根千の散歩に疲れた方などにとってほっと一息ついて気持ちを休められる癒しの空間と言って良いでしょう。
静かに時を過ごしたいとき、この場所を覚えておけば谷根千の達人と言えます。
台東区の文化財「町田久成墓」がある
鶯谷周辺には多くの神社や墓地があり、それぞれにとても有名な過去の人物たちが眠っていることで有名です。
津梁院の境内にある建物は標準的なものでそれほど特筆すべき施設はありませんが、墓地区画には有名な偉人たちが眠りについています。
もっとも知られているのが「町田久成の墓」ですが、この名前に聞き覚えのない方も多いでしょう。
町田久成は幕末の人物で、薩摩出身でした。
明治時代になってからは役人として動物園や美術館など文化活動に力を注ぎ、当時はまだ維新の直後で普及していなかった「国が文化財を保護する」という考えを真っ先に提唱し、私財を投じてまで文化財の散逸を防いだ人として知られています。
その功績を認められて現在上野にある東京国立博物館の初代館長もつとめた、まさに日本文化の守り手とも言える人物です。
晩年の町田久成は館長の職を退いたのち、出家して住職をつとめていました。
しかし病にかかり、知り合いの縁で寛永寺の別の子院(明王院というところで、現在は無くなっています)で療養することになったものの回復はせず、60歳で世を去ります。
生前の遺言で久成の師も眠る津梁院に墓を建てることとなり、現在までこの地で静かに眠っているというわけです。
この墓は台東区指定の文化財ともなっている貴重なもので、これだけを見るために津梁院を訪れる人もいるほどの大切な史跡となっています。
鶯谷に立ち寄った際、あるいは谷根千散策や神社仏閣めぐりの最中などにこの津梁院を思い出して、町田久成や他の文化人のお墓の前に立ち、在りし日の日本の姿に静かに思いを馳せてみていかがでしょうか。