下谷七福神の寿老神が祀られている
日本各地にはいわゆる「パワースポット」が多数存在します。
鶯谷にある元三島神社もそのひとつで、アクセスの良さもあって都内でとても人気のあるスポットです。
最寄り駅はJR山手線・京浜東北線の鶯谷駅で、北口から徒歩1分という近さがありがたい神社になります。
蒙古襲来の時に武将が必勝祈願で建てたものが元になっており、四国から分霊されたのがこの元三島神社のはじまりです。
最初は「三島神社」として存在していたのですが、諸般の事情からいったん浅草のほうへ移転しています。
しかし地元の人たちの心のよりどころでもあり、愛されていた三島神社をなんとか呼び戻そうと必死に運動しました。
その甲斐があってめでたく鶯谷に戻ってきましたが、戻る際に三つの神社に分かれたため似たような名称の神社が近隣にいくつかあります。
この元三島神社は、もともとあった場所に一番近かったため「元」と呼ばれているのです。
祀られているのは下谷七福神のなかの寿老神(福禄寿とも言われます)になります。
この神様は不老不死の秘薬が入ったひょうたんを持つことでも知られ、名前の通りに「健康長寿」の御利益があるとされているのです。
元三島神社はその由緒あるたたずまいと、住宅街やホテル街のなかにあるアンバランスさが注目されて「パワースポット」としてはもちろんちょっとした観光名所としても人気となっています。
後述する夏の厄払いはとてもよく知られているイベントで、外国人観光客が多く訪れて記念に撮影していくことで有名です。
成田から上野や日暮里方面に出る外国人観光客にとってアクセス抜群なこともあり、鶯谷の新名所の一つと言えます。
夏の厄払いに茅の輪をくぐろう
元三島神社といえば、都会の街の真ん中にあるということだけでなく「夏の厄払い、茅の輪くぐり」がその代名詞とも言えるほど知られています。
毎年夏、といっても初夏の6月末になると「夏越えの祓え」と呼ばれ、暑い夏を無病息災に過ごせるようにと願いを込めたイベントが行われます。
どういうものかというと、神社の内部に巨大な茅で作ったアーチが設置され、そこをしっかりと全身でくぐり抜けることで不幸や穢れを落とし、その年の無事の御利益があるというものです。
大きな茅の輪がとても印象的で、「SNS映えする」と若者を中心に口コミで広まったため近年参拝者が急増しています。
写真撮影は自由ですが、他の参拝者の迷惑にならないようルールとマナーを守って行いましょう。
この元三島神社は正岡子規ゆかりの地でもあり、境内には句碑も建てられているため俳句ファンにとっても大切な場所ですし、神社仏閣寺院めぐりが趣味の方にとっても非常に趣のある神社です。
山手線の車窓からも見えるほど駅にも近く、谷根千散策のついでに寄る方や鶯谷・日暮里に出張で来ているビジネスマン、海外からの訪問客など多彩な参拝客が訪れるため、ちょっとした文化交流のスポットともなっています。
厄払いの茅の輪がある時期以外はそこまで混雑しませんが、市街地であり駐車場などはありませんのでなるべく公共交通機関で向かうようにしましょう。
本殿へ向かう石段はかなり急なため、お年寄りや幼児は付き添いの方が気を付けて参拝に行くのがおすすめです。
町中にぽつんとある神聖で不思議なこの元三島神社は、味のあるスポットが多い鶯谷でもとくに異彩を放っています。
三島神社、本社三島神社とあわせて参拝を
先述したように、もともとはひとつであったのが浅草に移転し、そののち鶯谷に戻ってきたとき三つに分かれてしまったものです(元三島神社は熊野社と合祀しています)。
つまり、元三島神社の兄弟とも言える場所が近くに存在するため、ぜひこれらも足を伸ばして参拝訪問し、比較してみるのが面白いでしょう。
そのひとつが三島神社、入谷駅が最寄りですが鶯谷駅からも歩いていくことが可能です。
町中にあってこぢんまりとした閑静な境内には火事を防ぐ「火除稲荷」があり、火事を何よりおそれた江戸時代の町の信仰を垣間見ることができます。
またここには雷を閉じ込めたとされる「雷井戸」があるなど、当時の庶民を災害から守ってくれる御利益が感じられるでしょう。
樋口一葉の有名な小説、「たけくらべ」にも登場する、由緒ある神域です。
もうひとつの本社三島神社は浅草にあり、田原町駅が最寄りですが浅草駅からも徒歩圏内になる場所にあります。
ここもパワースポットとしてたいへん浅草の町の人に愛されてきた神域です。
関東大震災、そして第二次世界大戦中の空襲と二度も完全に焼失してはいるのですが、そのたびに地元の人たちの尽力で再建されており、現在の社殿は昭和47年築のものになります。
ここも市街地に存在しますが、周囲は下町というよりは高いビル群に囲まれており、その中でとても存在感を放っている場所です。
大きな道路に面しているものの、本殿はビルのように高い位置にあるためとても閑静な雰囲気で神秘的なパワースポットとして注目を集めつつあります。
台東区に立ち寄った際にはこの「三つの三島」を順に訪れ、パワーをもらう散策をしてみてはいかがでしょうか。
鶯谷駅北口改札からすぐの立地
東京の台東区、JRの山手線鶯谷駅と言えば駅からすぐにホテル街が広がっていることで有名な街です。
しかし、このちょっと怪しげな雰囲気の中にぽつんとひとつ神社が立っているのをご存知の方は少ないのではないでしょうか。
ここにあるのが「元三島神社」であり、鶯谷周辺に存在する神社・寺のなかでも愛好家たちの間で人気となっているスポットです。
有名な明治の俳人、正岡子規のゆかりの地でもあり子規ファンにとっての巡礼スポットでもあるこの元三島神社は、鶯谷駅北口からすぐという好立地もあって連日多くの人の参拝を受け人々の憩いや信仰の拠点となっています。
また、ここでしかもらえない七夕限定の御朱印があることもあってその期間には御朱印を求める人の列ができるほどで、神社・寺のジャンルを超えて観光スポットとしても鶯谷の活性化に一役買っているのです。
そんな元三島神社ですが、元からこの地域のこの場所にあったわけではなく、紆余曲折を経て今の住所に落ち着いたという経緯があります。
そのためか決して広い敷地を持ってはおらず、また鶯谷周辺の高低差のある地形もあってコンパクトな境内や急な階段を使った立体的な参拝道となっており、お参りするだけでよい運動になると評判です。
五月に毎年行われる例大祭ではほかの神社・寺とも連携して神輿をかつぐ、にぎやかなお祭りとなりますので外国人観光客にも好評になっています。
とにかく駅から近いということと、正岡子規の句碑があるということが多くの人が足を運ぶ、知る人ぞ知る都内の名刹なのです。
とくに七夕の御朱印は七月七日当日しかもらえませんので、これが欲しい方は注意しておきましょう。
3つの「三島神社」のうちの1つ
元三島神社の起源は、古く蒙古襲来の鎌倉時代にまでさかのぼります。
いわゆる「元寇」である「弘安の役」で出撃し、大手柄を立てた武将の河野通有が出征先から帰ってきた日に夢を見て建立するように言われたのが上野山の三島神社で、これは愛媛県大三島の大山祗神社を歓請したものです。
そこからしばらくはその地で信仰を集める神社として人々に親しまれてきましたが、江戸時代の初期に三代将軍家光によって転地を命じられ、金杉村(現在の根岸付近)に移転することになりました。
ところが江戸中期にその土地が幕府直轄となったためさらに移転、浅草のほうに遷座させられてしまいます。
浅草はかなり遠方ですから、氏子たちの不便もあり、もとあった場所へ分祀を行った結果、「本社三島神社」「三島神社」そしてこの「元三島神社」の三つに分かれることになりました。
駅からすぐの場所にありますが、駅前通りに入口は面しておらずぐるっとホテル街の中を通る必要があります。
本殿と社務所などは小高い位置、階段を上った先にあるため駅のホームからもよく見え、春には境内に植えられた桜の木が乗降客の目を楽しませているのです。
御朱印がほしい場合は本殿拝殿ではなく、入り口に入ってすぐ左にある御朱印所で頂きましょう。
先述した七月七日限定の七夕御朱印のほかに、五月五日限定の端午の節句(菖蒲の節句)にだけ書かれる「青泥墨」を使った深い青色の御朱印も人気となっています。
朝九時から夕方の四時半くらいまでいただけるので、なるべく混まない午前中などの時間を狙って訪れるのがお勧めです。
系列のほかの三島神社と合わせて回るコースも人気の散策ルートとなっています。
後ろ足を立てた狛犬の姿勢が珍しい
元三島神社は駅からすぐのポイントにあり、周囲は飲み屋街でホテル街とかなり猥雑な雰囲気に包まれた一帯に存在しています。
しかし、ひとたび神社内に足を踏み入れると全くの別世界が広がっており、小さいながらも緑が多く目に優しい空間が出迎えてくれるのです。
定番の手水舎もあり、手を清めたら社殿に向かうわけですが、その前にぜひ見ていただきたいものがあります。
それが、社殿への道すがら設置されている狛犬たちの姿です。
通常、魔除けの番犬として飾られている狛犬は前足を立てた状態で後ろ足を畳たたんで「おすわり」の状態であることがほとんどでしょう。
沖縄の同様の魔除け、シーサーもこの点では全く同じです。
しかし元三島神社の狛犬は多くが前足を前方に投げ出し、後ろ足を立ててまるで伸びをしているような躍動感のある姿勢をとっています。
大変に珍しいタイプですが、なぜこのような姿なのかは諸説あって理由は判然としていません。
関東大震災や戦中の大空襲をも生き延びた狛犬たちですが、老朽化もあって2011年の東日本大震災でついに崩壊して原型をとどめなくなってしまいました。
現在の狛犬たちは以前の姿をなるべく変えないように作られた2012年生まれのもので、彼らが今の元三島神社を見守っています。
有名な正岡子規の句碑は、子規が根岸近辺に住んでおり晩年を過ごした縁から建てられたものです。
「木槿咲て繪師の家問ふ三嶋前」という句が刻まれていますが、これは同じく根岸に住んでいた洋画家の友人の家を訪ねた時の情景を詠んだものです。
根岸に溶け込み、地元の文士たちと交流のあった子規の姿を偲ぶことができる句であると言えます。