三島神社御鎮座の起源
鶯谷にある三島神社の本社は、愛媛県今治市大三島にある元国弊大社である大山祇神社になります。神社には、神霊がある場所に鎮まりとどまっている場所が必要になります。御鎮座は、まさにその場所のことを言います。
1281年の蒙古襲来の際に出陣した河野通有が、四国の今治の大山祇神社で必勝を祈願し、帰陣した後に鶯谷の三島神社に分霊を祀ったことが三島神社の起源だと言われています。夢の中でこの地に分霊をすることを強く神のおつげがあったと言われています。
分霊とは、ある神社が祭神の霊を分けてもらい他の所に祀ることをいいます。その神の神霊をたてまつっているのが御鎮座です。
実は、三島神社は浅草に移転しています。その後に住民が御鎮座について何度も協議を重ねました。その結果めでたく鶯谷の三島神社にもともとあった熊野社と合祀することで元三島神社と称するに至ったという事です。合祀とは、神様を同時に奉ることをいいます。
元々一つだった三島神社が分れたために呼び分ける形がとられ、浅草にあるのが本社で鶯谷に合祀した神社が元三島神社と呼ぶことで御鎮座を守ったのです。三島神社が浅草に移転したにも関わらず御鎮座の存続を願って運動を重ねた鶯谷の住民のパワーは素晴らしいものがあります。氏子たちのこの神社にかける願の強さが感じられます。そんな意味もありこの地の御鎮座は、パワースポットと言われてご利益を求める人々がやってきます。
鶯谷駅からも近く山手線の車窓から見えたりする都会の真ん中にある元三島神社を一度参拝に行ってください。都心の中の緑のオアシスと言った風情ある場所です。御鎮座されている神霊は、大和を元の襲来から守ってくれた神風を吹かせて上陸を阻止した神様です。
年間通してお祭りが多い
三島神社は年間通してお祭りが多いことでも知られています。
普段はひっそりとたたずむ神社ですが祭りの時は様相が一変します。氏子の熱意が祭を盛りたてます。地元の人にとっては下谷七福神の一つの大社と言ったほうが分りやすいのかもしれません。七福神とは、福をもたらすとして日本で信仰されている七柱の神で、一般的に大黒天・毘沙門天・恵比寿天・寿老人・福禄寿・布袋・弁財天とされておりそれぞれがヒンズー教・仏教・道教・神道など各々な背景をもっています。そのためお寺の側面を三島神社は持っておりお祭りが多いのです。
例大祭はもちろん年1回行われる神社本庁が定める儀式で行われている祭礼です。正月の初詣も七福神では趣が違ってきます。正月の縁起物で初夢が見られるといいます。下谷の七福神巡りには元三島神社と6つのお寺が参加しています、なかでも元三島神社は、近隣の神々森猿田彦から神輿が渡る伝統的な祭りを伝えていることで別格と考えられています。
七福神の関連の行事は、熱意ある氏子にとって参加することに意義があります。そのため下谷の気風を伝える祭りに参加して盛り上げるのです。節分などの季節の行事がはいることはもちろんで、そのたびに元三島神社は賑わいを取り戻します。神輿好きには、年間通してお祭りが多い事は喜ぶべきことです。そのたびに熱狂的な氏子は神輿をかつぐのを楽しみにしています。
「不落祈願」が有名
雷を閉じ込めた井戸「雷井戸」があることで有名なのが三島神社です。井戸によって雷が落ちなくなったという伝説で「落ちない」のご利益で知られています。これこそ「不落祈願」が世界的に有名になった端緒です。このことをホームページで拡散しているので外国人参拝客が来る神社で有名になっています。
雷井戸の伝説とは、昔武蔵野の地は原野で雷の多いところでした。そのため村人たちはいつも怖い思いをしていました。そんなある日三島神社の境内に雷が落ちたときのことになります。神主が雷を井戸の中に封じ込めたところ、雷が「井戸から出してくれと」と頼んだそうです。神主は「二度とこの地に落ちない」ことを約束させ、許してあげたというありがたいご利益のあるお話です。それいらいこの地は雷が落ちないと言われており、井戸は雷除けの井戸で信仰の対象になりました。
七福人の神様も奉るからこそのご利益が「不落祈願」です。落ちないことを願う人が参拝にくるようになりました。元寇を追い払い、おちないと非常にご利益のあることがわかります。
最近はネットでこの話を流していますから世界的にも有名です。伝統を残しながら、鶯谷駅から見える便利さからこの話を聞いてやってくる外国人の増加に驚いている次第です。「不落祈願」は学生だけでなく全ての人にとって大切です。折々にわたる機会があればこの神社のことを思い出して祈願をしてみてはいかがですか。きっと良い結果が訪れることでしょう。
パワースポットでもありますから参拝すれば、出雲大社のようなパワーが与えられることになります。伝説やお祭りのことを聞いていると本当にご利益があるように感じてきます。